技術独立永住権取得大作戦




再び、オーストラリアへ
2年後、ビザ延長却下の悪夢が...



1996年5月にオーストラリアに学生ビザで入国後、結婚のため一時帰国したあと、1997年の暮れ、私たちは今度は2年間の学生ビザを取得し、再び、オーストラリアへと旅立った。

1998年から、私は日本食のテイクアウェイのお店でアルバイトを始めた。時給は6ドル!当時、日本人経営の飲食店は時給6ドル〜6ドル50セントが相場だった。アルバイトを始めてしばらくすると、私はマネージャー的な仕事をするようになり、私の時給も段々上がっていった。それでもやっと9ドルを超えたところだった。ちなみに、現在(2007年)はというと8〜9ドルが相場のようです。

2000年6月に私が店を辞める時、隣のケバブ屋の社長にあいさつに行ったところ、「次の仕事見つかってるの?時給は16ドルしかだせないけど、うちの店で働いてみない?」と言ってくれた。その優しさにじ〜んとしながらも、頭の片隅で思った。なんたる賃金差!

話を戻して、学生ビザの期限が残り半年になると、さすがに不安になってきた。学生ビザを更新するか、他のビザを申請するか。とにかく、私たちはオーストラリアに留まりたかった。

1999年当時、主人の知り合いのなかには、もう7〜8年も学生ビザを更新しながら滞在している人たちや、学生でありながら留学相談所もどきを経営している人などがいた。授業料さえ払えば、簡単に学生ビザの更新ができるといううわさだった。だからと言って、いつまでも学生ビザでオーストラリアにいるわけのもいかない。

そんな時、主人のバイト先の社長から「主人に永住ビザを」の話が出た。正直「やったあ!」と思った。でも、肝心の話がなかなか進まない。悶々としながら、月日だけが過ぎていく。最終的に、その社長は会社に投資して欲しいと言い出した。きっと、経営が厳しかったのだろう。去年になってその会社が倒産したと聞いた。うまい話はそうないものだ。

1999年7月1日、技術独立永住権のポイント制が改正された。
日本語情報誌などに掲載されていた改正後の申請条件を見ながら検討したが、どうしても点数が足りない。過去の職歴で技術査定にパスできたとしても、私の場合、年齢点が低いためにポイント数がどうしても足りない。望みがあるとすれば、実務経験による得点だったが、これは申請から遡った過去4年のうち3年のフルタイムの実務経験がある人しか得られないと聞いていたので、無理だと思っていた。

それでも一縷の望みを託して、私は年末に日系の移民事務所主催の「永住権に関する相談会」に参加した。参加者のなかに私と同じ調理師の方がいて、質疑応答の場でご自身の永住権取得の可能性について質問した。コンサルタントの回答は、「永住権の取得はそんな簡単にできるものではないんですよ、難しいですね」とけんもほろろだった。取りつく島がない、とはまさにあのこと。私はますますダメなんだと思い込んでしまった。

私たちはとりあえず学生ビザを更新して、永住権取得の方法を探しながら、さらなる移民法の改正に期待しようということになった。

ところが、思わぬ誤算が待ち受けていた。学生ビザの申請方法が変ってしまったのだ。申請者はすべての書類を郵送、又は移民局に設置されている箱に投入し、一括審査されることになった。つまり審査が厳しくなったということだ。オリンピックを控え、ビザ発給に神経質になっていたようだ。タイミングが悪すぎた。

私たちはそれまで3年程付き合いのあった留学相談所の韓国人社長のアドバイスで、IELTSの勉強の後、さらなるスキルアップのため調理を学ぶことにした。移民局から返事がこないまま、とうとう私は学校に通い始めた。

4ヵ月後、ぶ厚い手紙が届いた。移民局からだった。
ビザ却下! 私の嫌な予感が的中してしまった。

却下理由。
もうすでに英語を勉強するのに充分な期間オーストラリアに滞在しており、これを延長するに足りる理由が認められない。
さらに、私には調理師として充分なキャリアがあり、これ以上学ぶ必要性は認められない。
従って、この申請は単にオーストラリアに留まりたいためのものである、と認められる。
厳しい結論ではあるが、逆の立場に立てば正論だと言える。

私たちは、だめで当たり前の方法を選んでしまった。この社長は経験ある留学のプロである。なぜ、こんな愚かなアドバイスをしたのだろうか。私たちの考えも甘かった。

慌てて、友人知人に良い移民事務所を紹介してくれるように頼み、電話やファックスで問い合わせをしたり、広告で見つけた移民事務所巡りをしたり、とにかく残された滞在期間中、ずっと駆けずり回った。そんななかで、いろいろと分かり始めたことがあった。

あろうことか、私の得た移民法改正の内容が一部欠落していたのだ。
実務経験の条件から「フルタイム」の指定がなくなっていたのだ。ということは、パートタイムでも実務経験として認められるということだ。つまり、私にも可能性があるということだ。

前述の「永住権に関する相談会」に行ったのは移民法改正から4ヶ月以上も経っていた。でも、そんなアドバイスはなかった。
なぜ、日系の移民事務所のコンサルタントは、職歴もあったその調理師に対して、職歴、履歴の提出も求めないで、簡単に、永住権の取得は難しいと言ったのだろうか?
なぜ、肝心な改正された申請条件の内容を詳しく説明しなかったのだろうか?

すべてが、「ビザ却下でオーストラリアを出て行け」という方向に動いていたとしか言いようがない。
とにかく、私たちは帰国を余儀なくされてしまった。しかし最後の最後に、良い移民コンサルタントに出会うことができた。それが、せめてもの救いだった。

さあ、日本に帰って、仕切り直しである。